将棋は先を読めれば勝つというものでもない


将棋に関して私は「五段ぐらい」と周囲に話すことが多いですが、実際にどれぐらいの強さかというと説明に困ることがあります。将棋関係者であれば「24で2300〜2400ぐらい」と言えば大体伝わるのですが(将棋倶楽部24というインターネットの将棋道場でのレーティング点数が2300点〜2400点の間ぐらいという意味です。最近あまりやっていないですが)、将棋を知らない人に強さの度合いを理解してもらうことはなかなか難しいです。

よく聞かれるのは、「何手ぐらい先を読めるの?」という質問です。「詰将棋なら20数手ぐらいのものを解いたりします」などと答えれば、「おーすごい」「すごいのかな」「ごめん、やっぱりよくわからない」「聞いたけど興味なかった」ぐらいの返事が来るのですが、実際に何手先を読めるのかは局面によって違ってきます。

一応盤面を見ずに76歩34歩など符号だけで将棋をするという目隠し将棋はできるので(少なくとも前はできました。今は怪しいかもしれません…)、その意味では一局平均手数の120手ぐらいは読めるとも言えなくもないですが、正直難しい局面では3手先も読めないということもあります。

また、「先を読む」ということがそのまま将棋の棋力を反映するものでもありません。先を読めないよりも読めた方がそれは良いですが、それだけではないのです。

そもそも、何のために先を読むのでしょうか?それは、良い手を指すためです。当たり前かもしれませんが、本当に強い人はその部分を突き詰めて考えているなと感じることがあります。

例えば20手先まで読めるという人がいたとしても、20手先の局面まで進めた時の「これは良い」「これは悪い」という形勢判断がずれていれば、次の一手で悪手を指してしまうかもしれません。また、読んでいる手以外の手が良い手だったとした場合、いくら先を読んでも良い手は指せません。

逆に5手先しか読めなくても、5手先の局面を抜け漏れなく見通せて、その形勢判断が正しくできていれば次の一手も良い手を指すことができます。

要するに、次の一手の候補手が網羅できていて、その手の比較が正しくできていさえすれば、あまりにも先を読む必要はないということです。極論すれば、1手先の局面の優劣が正しく判断できるのであれば、全く先を読まなくても良い手を指すことができるのです。

これは、おそらく将棋史上最強の2人である、大山康晴十五世名人と羽生善治竜王の考え方からも読み取れます。大山十五世名人は、受けの名手でしたが、深く先を読むのではなく、5手先を網羅的に読むようにしていました(ソースは確か、大山康晴全集です)。一方で羽生竜王は、『直感力』という書籍も出しているように、読みだけではない強さを重視しています。

あくまで「先を読む」というのは手段なのであって、目的ではないということ、大事なのは次の一手で良い手を指すことなのだということ。

これは将棋だけでなく様々な場面であてはまる教訓なのかもしれません。