最適化(optimization)が全てではない


最適化=optimization


これはウェブマーケティングで、目指すべきもの、実施すべきものとして頻用されている言葉です。

ウェブマーケティングは基本的に、マーケティング上の成果(販売・寄付・会員登録など)を最大化するために、

  • 【誰に対して】ターゲット調査ーペルソナ設計
  • 【いつ】タイミング(Google検索時、動画閲覧後、記事閲覧後、タイムライン閲覧時など)
  • 【どこに】プレースメント(バナー広告、検索など)
  • 【何を】伝える内容・訴求ポイント
  • 【どのように】表現方法(テキストか画像か動画か)、デザイン、構成・レイアウト

をウェブ上から得られるデータをもとに「最適化=optimize」していきます。


さて、そのような過程を経ると、成果の出る方法がある程度見えてきて全体の施策が「最適化」されていきます。ABテストをしていけば、「こちらが良い」というのが明確に出てくるので、リスクなく改善ができます。その結果、「ターゲットユーザーに最適化された」ウェブサイトやサービスが完成します。

しかし、この「最適化」というのが実は厄介でもあります。ユーザーに最適化するというのは、ユーザーに合わせるということです。その中には、「理解できない言葉は使わない」「不快に抱く要素を取り除いて快を与える要素を盛り込む」といったことも含まれます。これは逆に言えば、「理解できない言葉に触れる」「一見して不快なものと向き合う」という機会を無くさせている、ということでもあります。

そのため、マーケティングによる最適化がなされればなされるほど、ユーザーにとっての世界は広がりづらく、むしろ小さくなっていきます。部分的な最適化は全体の最適化とイコールではありません。最適化がむしろ、長い目で見て人を害することもあるのです。

私はウェブマーケティングを否定してはいません。むしろ、ウェブマーケティングは様々な問題を解決する可能性を秘めていると思っています。ただし、それはマーケティングを通じて人にとって本当に必要なものを必要なものに伝え、届けることによってです。

「自分にとって必要なものは自分が一番よく知っている」ーー最近の人はこのように考えるのかもしれません。そして確かにそうである場合が多いと思います。しかし、人は自分の過去・現在・未来の全てを見通しているわけではありません。人が関わらなくても完結しているのであれば、「教育」という言葉もないでしょう。

だからこそ、時には人に合わせるのではなく、人の心を動かす必要があるのです。成果へ至らせるといった表面的な行動ではなく、その人の深い部分にある何かを。

最適化が全てではない。最適化という言葉をウェブマーケティング界隈の至るところで見かけるようになった今、その言葉の意味するところをもう一度点検して行動を見直す必要があるのかもしれません。